8月22日付けの南日本新聞で「地域協力隊員3割退任」の記事が1面を飾った。
見出しには“想定と違う業務、住民からは非難”に、んッ!これは!と。元協力隊、改め、協力隊経験者の「私」としては、これは書かねば!と、思い至った次第で。(最近ではOB・OGは「協力隊経験者」が統一呼称になったそうです)そして、なかなかに目に力が入る記事だったこともあり、どうしても頭の中に沸いたモヤみたいなものを言葉にしてみたいと思いました。
“地方に移住して活性化に取り組む「地域おこし協力隊」は制度開始から15年を迎えた。南日本新聞の調べによると、姶良市を除く鹿児島県内42市町村がこれまで559人の隊員を採用。29.2%の163人が任期途中でやめ、6自治体で退任者が過半数を占めた。背景には隊員と受け入れ先が求める活動のミスマッチがあるとされ、専門家は行政側に支援体制の強化を呼びかける。”[引用・一部抜粋]南日本新聞記事内
今回の記事については、ポジティブか? ネガティブか? その切り口については、後者に寄った記事であること。実態と実情については「任期途中の退任」と書かれているためか、どうしても闇属性に映ってしまうのは仕方がないのである。(光と闇、ちょっとファンタジックな表現で考えてみると、あら不思議、ポジティブに)
あまり面白可笑しくとはいかないテーマなだけに、僕は僕なりの切り口と語り口で、頭の整理をしていきたいと思いました。(まじめになりすぎると、善悪の話になってしまうので、あくまで自分なりの光属性の方向へが着地点かなと)
そもそも、地域おこし協力隊とは?(以下、略称名は「協力隊」で)
“人口減少や高齢化が進む地域に移り住み、住民の生活支援、観光情報の発信、農林水産業などに従事する。2009年度に始まった国の制度で、隊員の地域への定住定着を図る狙いがある。鹿児島県内では、任期はおおむね3年。”[引用・一部抜粋]南日本新聞記事内
制度を活用しての移住者は、仕事や収入などでも後ろ盾があるだけに、過疎化が進む地方にとっての人手不足や人材不足を補う意味でも、これだけを聞けば、自治体と移住者、双方にとっては「良いこと尽くめではないか!」というのが、外側の話でして。実情や実態・・・内側の話というのは、経験者たる「私」からすれば、その実、酸いも甘いもがある訳です。(甘いなんて、ほんの一握りで。ツラいがほとんどなのですよ、これが!)
記事を進むと「途中退任率」なるデータが出ておりまして。鹿児島県内・42市町村(姶良市は除く)の率も大盤振る舞いに公開。あまり知る機会がないデータということで、実態を数字としても分析してみたいと思いました。以下、途中退任率を低い順から。
・10%以下・・・11自治体
・10%台・・・・3自治体
・20%台・・・・12自治体
・30%台・・・・8自治体
・40%台・・・・2自治体
・50%台・・・・2自治体
・60%台・・・・4自治体
ちなみに今回の記事内には、2009年度からの鹿児島県内での協力隊推移もグラフ化されており、この機会にまとめてみました。(※2024年3月末時点・鹿児島県のまとめ)
・2009年度・・・2人
・2010年度・・・4人
・2011年度・・・6人
・2012年度・・・6人
・2013年度・・・13人
・2014年度・・・20人
・2015年度・・・41人
・2016年度・・・111人
・2017年度・・・151人
・2018年度・・・143人
・2019年度・・・131人
・2020年度・・・134人
・2021年度・・・139人
・2022年度・・・145人
・2023年度・・・138人
年度別を俯瞰で見ると・・・過去に「私」がどの年度で移住したのかを振り返ることもできます。ちなみに「私」は、2019年度(令和元年・2019年4月1日〜2020年3月31日)の採用と着任なので、131人組に属します。着任して3カ月後にコロナ禍突入で、ぜんぜん外へは出ること(出張などでの視察)が許されない状況でしたね。コロナ禍後半では、業務過多もありましたが、むしろ長島町内で役に立てることが増えたおかげで、町の人たちと沢山関われたことは不幸中の幸いなのかもしれません。(過去の協力隊は出張が多かったとか)
ちなみにちなみに。「私」が移住し、今も住まう協力隊だった「長島町」は、2016年度に協力隊制度を利用。第一号の方は大台の111人組での仲間入りのようです。長島町も協力隊制度の利用が始まって十年目なんですが・・・長島町民のほとんどが知らない情報です。なぜなら、広報を全くしない町なので。(してください!)
さて、記事には“各自治体によると、退任理由には「活動のミスマッチ」「地域、行政との関係が築けない」が多かった。”とのこと。「私」にも心当たりがあるため、当時を思い返すと・・・良いこともあれば、気分が悪くなることも多々あり、数えるだけで5回くらいは「辞めたい」と思うことがありました。(よく頑張った!そして、嫁にも感謝!)
「私」の場合は、業務が深夜から明朝におよぶ日もあり、土日にも業務をしていたことも。タイムカードが存在しない行政だったことや、会計年度人用職員という立場もあり、残業が一切認められず、自宅が仕事場扱いに。そして、自宅でも仕事をしないといけない状況だったこと。(夜は役場を使うなと)任期途中で結婚した身ではあるものの、妻に事情を察してもらいながら、命を削って仕事(ボランティア?)をしていたのは、良いとはいえない懐かしい思い出です。完徹は30代半ばでもキツいのです。ちなみに正職員だと、深夜残業があれば残業手当に割増賃金が発生。土日にも割増賃金が発生だそうです。認められなかったのは未だに不思議です・・・が!マメなので、業務日誌は3年間分が自分でメモして持っています。(いつか出番があるといいのですが)
閑話休題。ちょっと、脱線や当時の暗い話が噴出していたので、今回の記事を受けて、1つ。整理をしたいと思いました。それは、長島町の協力隊の任期途中の退任について。これは多分、長島町では誰も手をつけていないテーマであり、光属性に向かうための分析&仮説&理想になるのではないかと。
これまでの長島町の協力隊は現役を含めて23人。(※2024年8月現在・以下、全て「私」調べ)
現役を除くと、過去に20人の協力隊がおり、任期満了者は内9人。現在も定住している人数は3人。(二拠点者は定住者とは性質が異なるために含めず)知る範囲での途中退任者については、同期で入った方は3カ月で辞め、精神的に追い込まれたり、二拠点生活の無理や、本人にも問題があったことで退任したようです。曖昧なのはこの方との接点が徐々に途絶えていったため。
「途中退任率」のデータに照らし合わせると、長島町はどこに位置するのか? 算出すると、現役3人を除いた23人中の20人の内、11人が途中退任であるため、50%台または60%台に属するのではないでしょうか。(長島町の場合、途中退任については広報や開示がなされておらず、正確な人数把握が見当たらないため、予測や憶測でしかない)つまり、途中退任率は上位の市町村に位置していることが分かる。
総務省では、任期を終えた鹿児島県内の協力隊員の定住率も公表している。2023年度末で、その数字は「62.6%」。但し、任期途中の退任者は含まれず、実態を反映していないとの指摘もある。これを長島町の定住率に照らし合わせてみると、どんな数字が浮き彫りになるのか?
約6%
もちろん、二拠点者は含めないでの数字。ちなみに、2024年8月22日時点での任期後の定住者を計算してみて分かったことが・・・任期満了後の卒隊者で、現在進行形で最長の定住者は「私」のようです。(え?これまでに23人も協力隊がいて??ホントに???)
行政との関係性については、あまり良いとは言えないものの、それでも第二の人生と思って移住した場所だからこそ、長島町は好きな町です。行政に対してだけ、訝しい向き合い方になってしまうのは、協力隊経験者だったことが原因なのは確かで。それでも、定住したい気持ちに対しては、協力隊1年目の途中から「この長島町で本気で暮らしていきたい覚悟」が生まれたことが一番の理由かもしれません。当時はコロナ禍。「良くしてくれる周りの長島町の人達のために、なにかできることをしたい」そこから定住に取り組む心構えが変わったのだと思います。
実は、3年間の協力隊を終えた1カ月間は、いろいろと行政に対して失望していました。半ば鬱状態でした。そんな中、知り合いの住職さんに相談したときの言葉に、気持ちが軽くなりました。「人間は用いては駄目。人間は生かすもの。利用するモノではない。人間を活用する。人間を活かす」言ってやりたい言葉をくれました。自治体が、行政が、協力隊をモノではなく、人として、活かす場を約束する。共に生きる約束をする。地域おこし協力隊である前に、大事な大事な誰か一人の人生であること。もう一度、行政も先住者の方々も、今回の記事が見つめ直す機会になってほしいのだと思いました。モヤモヤ・・・少し晴れたのかなと。
また、地方創生に絡んだ話は書こうと思います。【つづく】